当たり前だと思う位置が低いと結構幸せになれます。おすすめです
こんにちは。本木 ななです。
私とろくがお世話になっております。
私が結婚してからずっとろくから言われ続けていたことで
「お前はいっつも幸せそうで腹立つ!」
というのがありました。
それに対して、私はろくに
「そんなん知らんがな。そういうのはその人の気の持ちようやんか!」
と、反論を続けてきましたが。
つまり、ろくが幸せそうになれないのは
「ろくの気の持ちようが悪い!」
と、私は思っていたのです。
しかし、ある日ある時
「なら、その気の持ちようて何やねん!」
と、面と向かってろくに言われた時、何も答えられませんでした。
そう言えば、気の持ちようって何なんですかね?
そこでいろいろ考えてみて思い付いたのは
- 私は『当たり前』の基準が周りの人よりもかなり低い
ということでした。
もちろんそれは夫のろくにも当てはまりまして、ろくよりも私の『当たり前』の基準は低いのです。
ただし、何かをしてもらった時の『当たり前』の基準は低くないですよ?
何かしてもらった時に“この程度のことはやってもらって当たり前”と思うのではないです。
むしろ話は逆で、全く何もない状態が当たり前の状態であり、どんな些細なことでも良くしてもらったことがあれば『ありがとう』です。
つまりその全く何もない状態が当たり前ということは、例えばそれが親子の関係であっても“親子ならよその家はこのぐらいのことをやってもらっているのに、うちはしてもらえない。酷い”ということにはならないということです。
この場合は“親子の間柄なのに何もやってもらえないのは当たり前のことではない”と思っているから、こうなってしまうんですよね。
これって、ありとあらゆることに当てはまります。
例えば「次に出世するのは俺のはずなのに、あいつが先に出世するのはおかしい」とか。
あるいは「私はあの娘より美人なのに、あの娘の彼氏があんなにカッコイイのはおかしい」とか。
または「私も主人も学校の成績は良かったのに、子供の成績が普通なのはおかしい」とか。
適当に思い付くまま書いてみたのですが、これらは全部当たり前の基準がもっと低いとこんな気持ちにはならないと思います。
つまり「出世しないのが当たり前。あいつが早い方なんだ」とか。
あるいは「私の彼氏が当たり前。彼女の彼がカッコイイ方なんだ(でも、私の彼氏は見た目じゃない良いところあるのよ!)」とか。
また「私と主人が優秀だっただけで、子供が普通なのだ(それに、人として大事なのは学校の成績だけじゃない!)」とか。
そのように考えると、そんなに嫌な気持ちにはならなくて済みます。
さらに言えば、嫌な気持ちになるとどうしても顔に出てしまいますよね?
私の場合、そんな気持ちにならないから“幸せそうな顔”に見えるのではないかと思います。
ただしこれは、ろくから見たらの話ですよ?
私も年がら年中笑っているわけではないですし。
というよりも、どちらかと言うとろくの方が他の人よりも表情が暗いのではないかと思います。
“自分は暗い顔をしているのに、私は普通の顔だから腹が立つ”ということであれば、むしろろくの方の『当たり前』の基準が他の人よりも高くてそれが問題・・・・・・ということなのかもしれません。
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ありがとうございました。
これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。
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