高校の社会科の教師だった母が周利槃特(チューラパンタカ)に学んだらどうなる?
こんにちは。本木 ななです。
私とろくがお世話になっております。
前々回、お釈迦様の弟子である周利槃特(チューラパンタカ)の話を書きました。
そして前回、この周利槃特(チューラパンタカ)の話をより具体的に考えてみることにしたのですが。
私には大した職歴はなくあまり参考になりそうもありませんので、母の話を書かせてもらおうと思ったわけです。
上記リンク先で私は、母には育ててもらって感謝していることと同時に、授業で決して手を抜かなかったことについては尊敬していると書きました。
その言葉に嘘はございません。
でも、それは間違っているとまでは言えないけど、少なくとも『時代を超えて最も大切な不変の真理』とまでは言えないことは確かだと思います。
ただしあの時までは最も正しいことだったというか、時代の流れに合致していたと思います。
では、本題に入ります。
私は中学の時、母に以下のようなことを言ったことがありました。
「お母さんの教えていることって、あんまし意味ないよね。
例えば、過去の出来事の年号とか人名とか覚えて、それが何の役に立つの?」
それに対して、母の答えは以下のようなものです。
「それは歴史だけの話ではなくて、他の教科でも同じ話です。
例えば高校で習う数学など、普段の買い物には全く必要はないでしょうが。
しかし、勉強してそこまでの能力を得ることができたということは、その子がそこまでがんばることができる子であるという証になります。
だから大学の入学試験として課せられているのです」
教え子の大学入試を突破させるという職務に真剣に向き合い、その子の点数を引き上げることにもこだわった、母らしい答えだと思います。
このしばらく後、私は同じことを従妹にも言いました。
そしたら、意外な答えが返ってきました。
「これは私のお父さん(母の弟)が言ってたことだけど。
歴史を学ぶのは、過去の出来事を学習することでより良い未来を創造するためなのだと。
子供にそれらを教えることで、その子供一人一人の未来がより良いものになるのだと。
だから伯母ちゃんって、ものすごく重要なお仕事をやっていると私は思うよ」
叔父はもう亡くなりましたが、誰もが知っている民間の大企業に勤めていて、そこそこ出世をした人でした。
さすが叔父ちゃんだと私は思いました。覚えている従妹もすごいけど。
思いましたが、私はこの話を母には伝えていません。
ちゃんとこの話をしていたら、このずっと後に長弟が自殺することもなかったのかもしれないと、思うこともあります。
とはいえ、さすがにそれはないだろうとも思いますけどね。
何でそう思うかの理由については、最後に書いておこうと思います。
話を戻しまして、ここで結論ですが。
周利槃特の場合で言えば、最も重要な目的とは悟りを開くことでした。
掃除はそのための手段に過ぎませんでした。
では、子供の教育で最も重要な目的って何なのでしょうか?
文字通り、教えて育てることが教育ですけれども。
それはですね。
- 何があってもその子自らの手で未来を切り開いていけるだけの力がつくように、教え育てる
ということではないかと私は考えています。
過去の出来事を学ぶその時、その時その国はどういう選択をして結果どうなったのか?
どういう選択をすればより良い結果になったと考えられるのか?
あるいは、それらの話をもっと小さくしたら企業や個人のレベルでも当てはまることがある場合、自分に置き換えて考えるとか?
大事なのはここら辺の話だと思うのです。
授業を受けるとか試験で良い点を取るとか、そういうことは手段の方に入るのではないでしょうか。
もちろん、世の中には大卒ではないと就けない仕事や入れない会社もあります。
それ故に職業選択の幅が広がりますし、その在学中に学んだことや出会った人によってより良い未来が開かれることもあるでしょう。
しかし、それが最も重要な目的とまでは言えないですよね。
今回の内容は以上となりますが。
最後に、私が従妹の話を母に伝えたら良かったと後悔している理由について。
この話を母に伝えたら、母の考えも少し変わっていたのではないかと思ったのがその理由です。
その前に、自ら命を絶った長弟について少し。
長弟は大学を中退した後、専門学校に通ったり就職したりしましたがいずれも長く続けることができず、その後に精神の病気が発覚しました。
その病気は完治することはなく、直接の動機は病苦ということになっています。
(というか、しています。
そうしておくのが一番母にとっては楽だと思うので。
どうやっても長弟が生き返ることはないのですからね。
でも私は、理由はそれだけではないと考えています。
母の教育にも問題があったのだと。
というよりも、あの時私が学校で受けた教育そのものに問題があったと。
何故なら、当時の学校の教育をそのまま家庭に持ち込んだのが、この母でしたから。
そしてその結果、長弟は自ら生きていくことを拒否したのだと)
母は長弟の通夜の時、私に言いました。
「長弟は一ヶ月ぐらい前から、しきりに“生きる目標が見つからない”と言っていた。
病気は治らないし、それ故に仕事にはなかなか就けないし。
そして最近は職歴がほぼないまま年齢を重ねたことで、もう仕事に就くのは無理だと考えたらしい。
“生きる目標が見つからない”って言われても。
私には返す言葉は何もなかった。
何故なら私自身、仕事をするか、仕事に就くために勉強するかの二つしか知らないのだから。
そのどちらの道もなくなってどうすれば良いのかと聞かれても、私には答えがなかった。
私はどうすれば良かったのか?」
私は何も答えませんでした。
というか、答えられませんでした。
答えはありましたよ?
「そうね、お母さん。
教員の仕事としてはその二つしかなくて、当たり前だものね。
お母さん、その先の話はね。
母親の仕事だと私は思うのだけど」
ま、言えるわけないですよね。
言ってもどうにもならないし。
むしろ、長弟の後を追われたら大変ですから。
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ありがとうございました。
これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。
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