【節約に投資】努力、忍耐、根性……これらを維持するために、必要なものは?【仕事や勉強】
こんにちは。本木 ななです。
私とろくがお世話になっております。
今回は非常に抽象的で曖昧な、大雑把な話です。
ギリシャ神話に「パンドラの箱」の話があります。
有名な話なのでご存じの方も多いと思います。
ざっとあらすじを申し上げると、
「パンドラが決して開けてはいけないと言われていた箱を好奇心から開けてしまったら、中から大量の様々な厄災が飛び出してきた。急いで箱を閉めたら、その中に“希望”だけが残った」
というものです。
この話から「パンドラの箱を開ける」とは、いわば「臭い物にフタをする」の対義語のような位置付けになっています。
「あー、それ、開けちゃったんだ。やばいよー」
って、話です。
で、この話は何が言いたいのかと言いますと、最も多い解釈では
「最後には“希望”が残る。“希望”さえあれば何とかなる」
という、主に良い意味で捉えられています。
所説ありますけども。
私、この説は正しいと思うんですよね。
“希望”があれば、何とかなるものではないかと。
このブログでは「節約&投資」をおすすめ致しておりますが、この「節約」と「投資」のいずれも、希望があればできます。
- 節約してお金を貯めたら、欲しかった○○が買える
- 投資して利益が出たら、欲しかった○○が買える
これを「節約&投資」で一まとめにすると、
- 節約して貯めたお金を投資して利益が出たら、欲しかった○○が買える
と、なります。
最近は最後の“欲しかった○○が買える”から“働かなくても生活できるようになる”という、その目的が購買ではなくアーリーリタイアという人がたくさん居られますね。
いや、お気持ちはよくわかります。
私もお仕事嫌ですから。ツラ過ぎますもん。
で、最初の話に戻ります。
“希望”ですよ“希望”。
お年寄りや年配の方で
「最近の若者は根性がない、努力が足りない」
と、言っている人が居ます。
私はそんな人に出会ったら
「時代が違うのだから仕方がない」
と、こっそり心の中で言い返します。
って、全然言い返していませんね。
私が子供の頃って、親や学校の先生から
「黙って真面目に一所懸命にがんばっていたら誰かがそれを見てくれていて、幸せになれる」
と言われていました。
今でもまだ、そんなことを言うている人も居ますよね。
あのですね。
まず、今はとにかく仕事の量が多過ぎて、自分のことで精一杯の人がほとんどです。
他人を顧みる余裕のある人はまず居ません。
がんばったら、まずはそれをアピールしてわかってもらわないと。
誰にどうやってアピールすれば最も効果的なのか、それを考えた上で。
しかしそんなことを言うと、上記のようなことを言う人は「悪賢い」とか「ずるい」とか言って非難するでしょうね。多分ですが。
また、会社でも“部下が育ったら、育てた上司もきちんと評価する”ようなところはなかなかありません。仮にそのように謳っていても実際はそうなっていない場合がほとんどでしょう。
会社も精一杯ですから。利益出そうとして。
だから“黙って真面目にがんばる”だけではダメなんですよ。
それにもしも仮に、それでも評価してくれた人が居たならば、それはものすごくその人に感謝しないとね。
そしてそれを当たり前だと思っちゃダメです。
やっぱ、親や先生が言うてたからそういうものなんだー、とか言って。
それを態度に出してしまったら、この次はもう評価してくれなくなるかもしれませんよ。その人。
何が言いたいかと言いますと。
要するに昔は、右肩上がりの経済成長が続いていたからこそ、この“黙って真面目にがんばる”だけで報われたのです。
親や先生は自身がそれでそこそこの幸せを掴めたからこそ、子供に良かれと思ってそのように言っていました。
- “黙って真面目にがんばる”と“誰かがそれを見て”いて、その結果“幸せになれる”という“希望”がある
そのように教えていたのです。
そしてそれは正しかった。
右肩上がりの経済成長。
それ故に、ぽっかりと空いていた労働需要。
今は、そんな需要はありません。
ならどうやっているかと言いますと、
- 需要を何とか生み出しながら、何とか成長させている
状態だと私は思います。
これをもっと簡単に言えば。
昔は、造ったものは並べてさえおけば、片っ端から売れて行ったのです。
服でも靴でも雑貨でも家電でも食品でも、もうありとあらゆる物が何でも。
ところが今は、余程の理由がないと買いませんから。消費者は。
そもそも、家電とかほどんどの人が持っているし、なかなか壊れないから買い替える理由もない。
ものすごい省エネになって、ここで買い替えた方が得だとか。
あるいは、こんな機能があってこれは本当に便利だからとか。
そういう理由を生み出せた会社の商品だけが、例外的に買ってもらえているような状態ではないでしょうか。
従来の商品からあまり進化していないものは、値段を下げてもなかなか買ってもらえないでしょうね。
話は変わりますが。
私の場合、上記に加えて“余計なことを考えずに”がんばれと言われていました。母親から。
余計なことを考えずに、黙って真面目に一所懸命にがんばっていたら……と。
母の時代はそれでも良かったのです。
巨大な労働需要がある時は、考えている時間すら惜しいでしょうから。
でも今は、
「どうやってより大きな利潤を追求するか」
あるいは
「どうやって合理化して利幅を広げるか」
とか、いろいろ考えて仕事をしなければなりません。
そういうことが全く思いつかない状態であるならば、今の仕事をそのままがんばっても給料は増えないどころか徐々に減っていくのです(他社ががんばって成長するため)。
つまり、ないんですよ“希望”が。
“ない”というのが言い過ぎならば、少なくとも“感じられにくい”のは確かです。
しかし、労働に希望を見出せなくても、節約して投資してアーリーリタイアを目指すという“希望”はあります。
労働に希望を見いだせない方へ。
私もそうです。その気持ちを表に出したことはありませんが。
節約と投資をがんばりましょうよ。
私もがんばろうと思っています。
「働かないでお金を得ようとするなんて、怠け者にも程がある」
きっと、私の母ならそう言うと思います。
でもこれは仕方がないことでしょうね。
がんばる方向が違うだけだと、私は思っているのですけどね。
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ありがとうございました。
これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。
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