誰かを妬んで陥れることや金持ちはずるいことをしていると思うことは、昔は正しかったのかも?
こんにちは。本木 ななです。
私とろくがお世話になっております。
今回の話は、ふとお金のことについて考えていた時に思い付いたことです。
誰かを妬んで陥れることはムダなことです。
誰かを妬んで陥れても、その陥れた人が自分と同じぐらいのところまで落ちて来るだけであって、自分が上に行けるわけではありません。
その労力を自分が上に行く原動力とするべきだと、今の成功哲学では大体そのように言われています。
また、お金持ちは何かずるいことをしたに違いないと考えるのも、同じような話となっています。
お金持ちになるためには、中にはずるいことをした人も含まれているでしょうが、ほとんどは世のため人のためになることをした人々です。
世のため人のためになることとは例えば、ものすごく便利だとか魅力的な物やサービスを生み出すとかそれらを販売するとか、そういうことに携わったということで。
だからお金持ちは何かずるいことをしたのではなく、そういう皆のためになることを何かした人なので、お金持ちになりたかったら自分も何か人のために尽くしましょうという話になっています。今は。
今まで私もそのように思っていたのですが、昔は必ずしもそうと言い切れなかったのではないかということに気付きました。
昔というのは、兌換紙幣を発行していた金本位制の時代の話です。
兌換紙幣とは、最終的に「金(お金ではなく金属のAu)」に交換することで価値を保証し、発行していた紙幣のことです。
その紙幣の裏付けは「誰もが欲しがる希少金属である金」であり、今のような各国の「信用」ではありませんでした。
となるとどうなるかと言いますとですね。
地球上の金の埋蔵量は上限が決まっています。
もちろん新しい金山が発見されたり採掘技術が上がることで、当初の予想よりも取れる量が増えるということはありますけども。
しかしどの程度の量だかわからないにしろ上限そのものがあるのは確かであり、その上限を引き上げるとなると例えば別の星から取って来れるようになるとか、そんな奇跡的なことでも起きない限り無理です。
その上限があるとするならば、ですね。
「誰かが金持ちになると誰かがその分貧乏になる」はずであり、全員が金持ちになれることはあり得ないわけです。
となると「自分がお金持ちになりたかったら、まずは誰かを陥れて損をさせてから」というのは、理屈の上では合っています。
また、金持ちはずるいことをしているというのは「上限があるのならば、お金をどこかから得たのならどこかからその分奪っている」はずである、という話になります。
わかりやすい例を一つ挙げるならば、昔の重商主義ですか。
イギリスが植民地支配した国で有名なのはインドなどですが、その前のスペインと違って単なる略奪ではないだけまだましなものの、植民地側の国には不利な形で貿易を行い、その結果イギリスは富を蓄積していったわけです。
つまり植民地側の国から見れば、その国が本来得られるはずだった利益をイギリスに奪われていたということになります。
というわけで、誰かを妬んで陥れることや金持ちはずるいことをしているというのは、金本位制の時代では強ち間違いとは言えないような気がしてきました。
しかしこれっていつ頃までの話だったのでしょうか。そんなに大昔?
この金本位制が完全に終わったのはいつのことか調べますと、1978年4月とのことでした。
私もろくも既に生まれています。
結構、最近の話じゃないですか。
・・・・・・いや、私らが年をとっただけかもですが。
だからですね、私の親の世代が上記のようなことを言っていたのは、実は当たっていたのだとそう思ったわけです。
単なる感情の問題だけではなかったのだなと。
ま、本人は感情的になって言うてるだけでしょうけど。
その気持ちはわかりますし、しかも母が若い頃なら間違いではありませんが、今は不換紙幣であり各国の「信用」を持ってお金を発行しています。
上限がありませんので、妬んで陥れても仕方がありません。
それよりはそのパワーを上昇志向に使い、妬みという感情を頭から排除し大事なことを考えるために使う方が良いでしょう。
そして何かずるいことを考えるよりも、もっと前向きなことを考えてより良い物やサービスを生み出すことに関与しましょう。
今は上限がないどころか、仮想通貨など新しい通貨も出てきていますし、これからもたくさん出てきます。
より前向きな考えを持つ人の方が、これからの時代に合っていることは確かです。
・・・・・・って、私は何者やねーん(笑)。
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ありがとうございました。
これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。
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