後編)日本ではお金の話題を避けようとする人が多いのは何故?
こんにちは。本木 ななです。
私とろくがお世話になっております。
2016/09/09『前編)日本ではお金の話題を避けようとする人が多いのは何故?』に引き続いて後編です。長くなりますので分けさせて頂きました。
前回では、お金の話題を避けようとする人が多い理由の一つとして、
「揉め事を避けようとする国民性みたいなものがあり、それ故にそのように教育されている人が多いのではないか?」
と思ったことを書きました。
今回は、全く別の理由を思い付いたので書いておこうと思います。
それは、江戸時代まで遡るのではないかと。
江戸時代、士農工商という制度ができましたが、その比率は以下のようなものでした。
夕陽のランナー様より画像を頂きました。
元は詳説日本史(山川出版社)のグラフのようです。
農民の割合が多いですよね。
で、この時代は『米』というものは単なる食料ではありません。
ある意味、お金のような役割もありました。
「石高制」というものがありましたが、この「石」とは武士の給料の単位ですし、どこそこの大名が○万石という呼び方もされました。
「1石」がどのくらいか調べてみましたら「150キログラム」や「180リットル」などの数字が出てきました。
要するに農民は数が多い上に、「米」という貨幣の役割を担っている重要なものを生産しているわけです。
それ故に表向きは「士農工商」では武士に次ぐ存在として、裏では「生かさず殺さず」とか言われていたわけですけど。
つまりですね、この頃の農民は支配者階級である武士にはかなり気を遣われていた存在ではないかと思うのです。
貨幣を担う商人を下に見て、米を生産する農家を立てていた……それ故の「士農工商」だったのではないかと。
- 武士は喰わねど高楊枝
とは、武士の気位の高さを象徴することわざですが、それ故に
「金のことを言うとはけしからん!」
みたいな話になっていったのではないかと私は思ったのです。
しかし実際は下級武士どころか大名の中にも、商人にお金を借りる人が続出します。
そのようになっても、例え表面上だけでも「お金」を扱うことは下品だと言っておきたかったし、その対比で農民の生産する「米」を立てていた……明治維新になって「石高制」がなくなっても、「お金」を扱うことは下品だという意識だけはなくならなかった。
何故なら、武士は華族という呼び名で引き続き支配者階級になりますからね。
これが私が考えた「日本ではお金の話題を避けようとする人が多い」理由の一つです。
……って、あんまし長くなかったですね。
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ありがとうございました。
これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。
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