追記・後編)日本ではお金の話題を避けようとする人が多いのは何故?
こんにちは。本木 ななです。
私とろくがお世話になっております。
ちょっと時間が経ってしまいましたが。
2016/09/13『後編)日本ではお金の話題を避けようとする人が多いのは何故?』の追記です。
詳細は是非リンク先をご覧頂けると嬉しいのですが、お時間のない方のために抜粋すると、
「貨幣を担う商人を下に見て、米を生産する農家を立てていた……それ故の『士農工商』だったのではないかと。
- 武士は喰わねど高楊枝
とは、武士の気位の高さを象徴することわざですが、それ故に
「金のことを言うとはけしからん!」
みたいな話になっていったのではないかと私は思ったのです。」
と書きましたが。
やっぱりこれは当たっているようでした。
というのはですね。
江戸時代に朱子学という儒教の一派が徳川幕府に取り入れられて盛んになりますが、その朱子学では金銭のことを
- 阿堵物
という蔑称で呼ぶそうです。
そこで、武士からも金銭のことをそのように呼ばれるようになりました。
「阿堵物」とは「このもの」という意味でこの単語自体は蔑称ではありませんが、「口にするのも汚らわしい」という理由でこういう言い方をしたそうです。
(元は、晋の王衍(おうえん)が「銭」の語を忌んで用いたという「晋書王衍伝」の故事から由来するとのこと)
一方で「米」の場合。
今でも「一所懸命」という四字熟語がありますが、そうやって自身や親またはご先祖様が懸命に取った土地は尊いものであり、そこから生産される「米」もまた尊いもの……ということになりますよね。
それが今でも残っているために、
「お金というものは汚いものだ。
だから、お金の話をするのは汚らわしいことだ。
それゆえに、お金の話を人前ですることはけしからん」
という話になったのではないでしょうか?
これからも引き続き、いろいろ考えてみようと思います。
他にも理由があるかもしれないですので。
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ありがとうございました。
これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。
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