震災時のイベントは自粛すべきか? 自粛は自粛すべきか?(意味不明)
こんにちは。本木 ななです。
私とろくがお世話になっております。
書かないでスルーしようと思っていたのですが、一応。
自粛すべきか否かで、いろいろ言われているようですけれども。
すごくいい加減な結論で申し訳ないですが、どちらが正しいとも正しくないとも言えないと思います。
ただし個人的には、自粛すべきではないと思っておりますが。
4月15日、東京ディズニーシーの開演15周年記念イベント「東京ディズニーシー15周年 ザ・イヤー・オブ・ウィッシュ」が、14日夜に熊本で起きた地震を受け、15日午前のオープニングセレモニーは中止となったそうですね。
これ、そのまま中止しないで予定通り行って、そこで募金とかした方が良かったのではないかと私は思いました。
この日の予定に合わせて学校や職場のお休みを取ってやりくりして、そうやってここに来たお客さんも多いと思います。
熊本で被災した方々に申し訳ないと思うのなら、その気持ちを募金という形にしてお返しすれば良いのではないでしょうか?
また、教育評論家の尾木直樹氏が「バラエティー番組自粛はごく自然な人間らしい判断である」と発言されたらしいのですが、それもごもっともだと思います。
というよりも。
学校の先生や教育関係者は、むしろそう思って当然だと思うんですよね。
こうやって発言することに意味があるのではないかと、そう思います。
ええとですね。
私自身、ムリやムダなどを憎んでいます。
私の好きな言葉は、
◎経済的合理性
◎コスパが良い
などです。
今は他の表現を思い付かないのですが、思い付いたらまた書き足します(笑)。
しかしこれが行き過ぎると、ちょっと困ったことになりますよね。
昨今のワーキングプアとか、ブラック企業とか。
こういう問題は人にまでこの考え方が浸透してしまったからこそ、起こりました。
先ほどの例で考えてみましょう。
自粛をしないでセレモニーを行って募金をし、被災地に送る場合です。
自粛をした場合は、被災地にもたらされるものは何もありません。
自粛せずセレモニーを行って募金をした場合は、その募金した金額分の支援ができます。
だったら常に有無を言わさず”自粛しない”のが良いのかと言えば、そうではありません。
例えばバラエティ番組の場合なら、
「自粛することも検討したが、この番組を楽しみにしている視聴者のことも考えてそのまま放送した」
という旨を伝えた上で、その番組内で募金活動をするとか。
つまり、被災者の気持ちを考えた上で放送する判断をしたというのを明らかにし、それを視聴者に理解してもらえるよう努力するべきだと、私は思います。
お金のことを考えたら、自粛するということは経済活動が止まるということではないかと。
それは確かにその通りなのですが。
私たちは機械でもないし、人工知能でもない。
人間ではないですかと。
そしてさらに。
人として大事なことは何か。
そのことを教える立場の人が、親であり学校の先生であり教育関係者です。
だけど、生きて行くためには、衣食住が必要です。
それを支えるものは、お金です。
人として大切なものを考えなければなりませんが、同時にお金のことも考えなくてはなりません。
つまり最終的に、誰がどうなる結果が良いのか。
この場合は、
「被災者にとって一番良い結果をもたらすのは、何なのか?」
を考えてどうするか決めることだと、私は思うのです。
そしてその決断の理由を、多くの方に理解してもらうこともまた、大事なことだと思います。
特に、まだ社会に出ていない若い人のことを考えて欲しいのです。
ある程度の期間を社会に出て働いていると、先の経済的合理性のことは肌で感じているはずです。その言葉自体を知らなくても。
ですが、まだそこまで達していない人の中には“被災した人のことを考えて自粛するという方法もあったけど、いろいろ考えてこの判断にした”ということがわからない、という人もいると思います。もちろん子供も含めて。
そこをきちんと説明しないと、わからない人には“この場合はこうするものだ”としかわかってもらえませんよね。
こういう形で話題になったのは、良いことだと私は思います。
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ありがとうございました。
これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。
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