私が投資をおすすめする理由は、それが時代の流れに沿っていると思うからです

 

こんにちは。本木 ななです。
私とろくがお世話になっております。

前回の『正の循環にも段階があります。さらに大きな外側の輪に入るには?』では、リスクを取って投資をするのがおすすめだと書きました。

今回はその理由を挙げておこうと思います。

以前『後編)格差はあって当たり前。むしろ、ちょっと前までが例外だった?!』という記事で、江戸時代の我が国の民は約85%以上が石高制の影響下にあったことを書きました。

つまりこの時代は、お米がお金の役割も担っていたのです。

ですが、当時のお米にはできないことがありまして。

それは増やしたり減らしたりすることです。特に増やす方。

今のお金は増やそうと思えば刷れば良いだけです。簡単です(方法だけは)。

しかしお米を増やすとなれば、これは全国の農民の皆さんにがんばって生産してもらわねばなりません。

とはいえ、農民の皆さんがどれだけ頑張ったとしても天候不順や流行り病など、予期せぬトラブルにより増産できないこともあるでしょう。

江戸時代は鎖国していた上に身分はほぼ固定されています。

農民は先祖代々子孫に至るまで農民です。

そのため、親から子へ子から孫へ、農民が最も幸せになる教育が受け継がれていきます。

毎日こつこつ働くことが良いこととされ、贅沢をしたりさぼったりすることは悪いことだとされます。

そして、周りの人とは仲良くすることは良いことで、これを疎かにすると村八分(葬式と火災時の消火以外絶交すること)にされてしまいます。

農村で農作業をして一生を終えることを考えたら、これは実に理にかなっています。

そして江戸時代が終わって明治維新になってそれから世の中が発展していくわけですが、敗戦によってかなりのダメージがもたらされます。

何もないところから復興するために巨大な需要が生まれ、それに伴って巨大な労働需要も生まれます。

江戸時代の教えをそのままに、農作業を農作業以外の労働に置き換えてもそれは問題がないどころかむしろぴったり当てはまったので、私たちはそのような教育を受けてそのままがんばって今日を迎えました。

ところが時が経ち、ついにありとあらゆる物やサービスが街中にあふれ、限界に達しました。

労働需要は縮小し、必要とされる人材は新しいものやサービスを生み出せる者や特殊なスキルや資格を持っているような、極めて優秀な人に限られるようになりました。

振り返って考えてみると、労働の需要とは敗戦によって日本中が荒廃し生まれたものから始まっています。

明治維新以降で何がどうなったかと言えば、日本は他国と貿易をして栄えていったわけです。

それも、今や農業国として米や農産物を輸出しているわけではありません(むしろ輸入しています)。

となると、我が国が貿易をして栄えているとなれば、最も必要な教育は士農工商で言えば「商人」の教育ではないでしょうか?

江戸時代の農民と商人の決定的な違いは、商人はお米ではなくお金で動いていたということです。

お金にはお米にはない「信用」というものがあって、それを当時の世界レベルでもいち早く生み出した商人達は幕府を凌ぐお金持ちになります。

(ここら辺の詳細が気になる方は『後編)格差はあって当たり前。むしろ、ちょっと前までが例外だった?!』をご覧ください。よろしくお願い致しますm(_ _)m)

さて、ここで。

私は以前『後編)アメリカでは「信用」で借りた履歴のない人にお金を貸してくれません。借りていないって良いことではないの?』で、借金の中には良いものがあって、それが「投資」なのだと書きました。

そこで例として、レイ・ダリオ氏の動画から以下の画像を挙げました。

おじさんが「信用」でお金を借りて農業機械を購入し、その機械で農作業をするところです。

農具で人の手で作業するよりももっと効率が良くなります。

それで収穫した農作物を売却するとかなりのお金が手に入り、それでこの農業機械を買うために借りたお金を返してもお金が残るという状態になります。

つまり結果として、このおじさんは「信用」でお金を借りることでお金持ちになっています。

それともう一つ、このおじさんはお金を貸してもらえる「信用」がある人物だったことがわかります。

おじさんに借金をして延滞した記録があり、お金を貸してもらえないという場合もありますから。

ですが仮に、このおじさん自身の「信用」に問題がない場合でも、銀行が貸し渋りを起こして貸さなかったらどうなるでしょうか?

おじさんは手作業のままで、この方法を用いてお金持ちになることはできません。

もしもずっと貸し渋りが続いてこのおじさんにずっとお金を貸さなかったら、その間おじさんは手作業のままです。

おじさんがお金持ちになって事業を拡大すると喜ぶ人がたくさん生まれます。

なのに、そもそも最初にお金を貸してもらえないと、話が始まりません。

リスクを取ってお金を出すことは大事なことです。

この場合のリスクはおじさんの持つ「信用」だけではなく、農産物に必要な水や肥料、あるいは天候に恵まれることなど様々なことが考えられます。

このおじさんがどんなにがんばっても不作で、お金を返してもらえないという可能性もあります。

そのリスクを冒してお金を出して特に問題が発生しなかった場合、このおじさんだけでなく周りの人にも良い状況がもたらされます。

そしてついでに書いておきたいのは、世の中が発展していけばいくほど、より良い人が報われる世の中になっていきます。

先に挙げたおじさんの場合で、おじさんと同じ農業スキル(単位時間当たりの耕す速度など)を持つ人がもう一人いたとしましょう。

その人は借りた物も返さないし根性の悪い人物で皆から嫌われているけど、家族が良い人で村八分までは至っていない、という。

「信用」というものがなかったとすると、この両者にはほとんど同じような人生となります。

それって、世の中間違っていると思いませんか?

誠実で良い人にはもっとお金持ちになって幸せになって欲しいと思いませんか?

私はより良い人ほど、そのより良い行為が報われてより幸せになるという、そんな世の中になって欲しいと思っています。

そのより良い未来のために、私たちのような個人ができることとは何でしょうか?

もちろん世のため人のために働くのもその一つです。

より良い未来のためにリスクを取ってがんばろうとしてる会社にお金を投じることもまた、私たちができることの一つであると思うのです。

株式投資は博打だと言って悪く言う人もいるけど、私はそんなことはないと思います(博打みたいなやり方もあるけどね)。

 

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ありがとうございました。
これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。

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