インターネットは分散化の起源か元祖か、あるいは本家か家元か?
こんにちは。本木 ななです。
私とろくがお世話になっております。
インターネットができて広がってIT(情報技術)革命とか呼ばれて、もう何年ぐらいになるでしょうか。
これらはそういうものができたというだけでもすごいことでしたが、今はそれらのテクノロジーが発展することによりさらに上の段階に来たと私は思っています。
今になって振り返れば、インターネットの出現を境目として世界の流れが劇的に変わっていました。
このことを私は、わかっていたようで実はあまり良くわかっていなかったのです。
ちょっと前にようやくそのことに気が付きましたが、その気付かせてくれた資料の中にはこの前の佐藤氏の本も含まれています。
まずはそのインターネットの起源の話から、書き留めておきたいと思います。
インターネットの起源とは、世界で初めて運用されたパケット交換方式のコンピュータネットワークであるARPANET(アーパネット)とされています。
そのARPANETは米国防総省の高等研究計画局(ARPA)によって導入されたもので、元々は軍事上の理由によりできたものでした。
従来の中央集権的なネットワークの場合、重要な機密はすべて中心部分で運用されておりました。
その中心部分が敵からの攻撃により壊滅状態になると、すべての機能が停止してしまうのです。
そのため、ネットワークで繋いで機能を分散化させて被害を最小限に食い止めようという話になり、ARPANETが生まれました。
後になって東西冷戦の終結により、この技術が民間に出てくることになります。
まずは軍事利用から研究教育機関へ、そこから最終的に営利目的の利用についての制限がなくなる、という流れになりました。
(余談ですが、昔の格闘ゲームにはMODEL1とか2とか言われる基盤がありまして、その技術も元はと言えば軍事利用するために開発されたものだったそうです。
極論すると、冷戦終結により高度な軍事テクノロジーが民間に流れてくることで世の中いろいろ発展した、とも言えるかと思います)
先にも触れたこの分散化という流れが、劇的に今までと異なるところです。
今までは中央集権的に、長いものには巻かれた方がお得な状況で「世の中」と「世界」は発展してきました。
と、ここから少し話は変わります。
「世の中」の定義とは、それまでは「日本(という国)の中」だけでした。
しかしインターネットが誕生しネットワークが発展していきますと、徐々にそれが「日本」から「世界」に変わっていきます。
世界中と繋がり、その線の数がどんどんどんどん増えていくからです。
人と人だけでなく物と物まで繋がっていき、停滞することはあっても逆戻りすることはありません。
そして我が国だけでなく、世界の国々がそれぞれに「世界」とより一層、繋がって身近になったらどうなったのか。
分散の世の中が向いている国もあれば不向きな国もあります。
特にGDPが我が国よりも順位が上の、以下の二国のことを考えてみましたら。
- アメリカ⇒合衆国であり、合衆国とは二つ以上の国家(州)からなる国の連合体を意味する
・・・・・・分散してますやん。
- 中国⇒政府や政府が発行する人民元を信用しておらず、個人で何とかしようという意思が強い
・・・・・・分散してますやん。
分散がさらに分散し、分散を繰り返して行きつくところまで行ったら個人になりますので。
(中国が人民元を信用していないことがメリットとなった事例は以前この記事に書きました。ご興味ある方はよろしくお願い致します)
できればこの二国には、たとえ追いつけなくともその差は縮めたいところなのですが、かなり難しいような気がしないでもないです。
何せ日本は昔から中央集権国家として、今日まで頑張ってきたのですから。
しかもですね、以下の似た意味を持つ諺を複数生み出してしまうような国民性を持っているわけですよ。
「長いものには巻かれよ」
「寄らば大樹の陰」
「箸と主とは太いが良い」
上記はいずれも「自分よりも強いものに身を寄せたら成功する」という意味ですが、それを皆が信じてその諺に従うとどんどん組織は肥大化し、最も優れた人物が中央というか頂点に据えられて中央集権的な組織ができますよね。
良くも悪くも「国や大企業などの大きな組織に入って、皆で頑張ってお仕事するのが得意な日本人」にとっては、逆風吹きすさぶ不向きな時代となってしまったことだけは確かなようです。
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ありがとうございました。
これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。
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