後編)格差はあって当たり前。むしろ、ちょっと前までが例外だった?!
こんにちは。本木 ななです。
私とろくがお世話になっております。
前編に引き続いて、格差についての話です。
そしてここからはちょっと大きな・・・・・・というかオオゲサな話になります。
私、個人的には“今の日本人に多大なる影響を及ぼしているのは江戸時代”だと確信しております。
というのも、やはり1600~1867年という長い長い時代の大半を鎖国してほぼ日本人だけでちびちびぐるぐるがんばっていたのですから。
その後で明治維新が来てこれまたいろいろいろいろあったとしても、基本的なところはこの時代の影響が色濃く残っていると思うのです。
これは日本人の持つ特徴(というか、どちらかと言えば特長)から来るものでしょう。
昔の良いものを受け継ぎ次世代に伝えていくことを良しとする特徴です。
だからこそ我が国には、古い神社仏閣やら美術工芸品やら書物やらといった貴重なものがたくさん残っています。
そこでその江戸時代ですが。
まずは、以前にネットより見つけて頂戴した詳説日本史(山川出版社)の円グラフをご覧ください。
圧倒的に農民が多いですよね。
さらに農民の支配層である武士まで含めると、約85%以上となります。
米などの農作物を生産していた農家とその支配をしていた武士は、石高制の影響下にありました。
ウィキペディアによりますと、そもそも何で石高制になったのかと言えば16世紀末の通貨制度の混乱がその理由です。
室町幕府は明(当時の中国)から宋銭や明銭を輸入していたのですが、その室町幕府が衰えたことと同時に明の側にも貨幣制度の変更による銅銭そのものの衰退がありました。
さらにこの混乱に乗じて、これらの貨幣を私的に鋳造する者まで続出します。そこでできた貨幣を私鋳銭と言いますが、要するに偽造ですよ偽造。それが大量に出回ります。
そんなこんなで、16世紀中期から17世紀中期までのほぼ1世紀にわたって銅銭を中心とした貨幣に対する信用が著しく低下してしまいます。
そこで登場したのが日本人の心の宝(?)、お米でした。
ここら辺の時代を平たく言えば、お金よりもお米の方が人々に信用されていたということになると思います。
しばらくその状態が続いていたのですが、江戸幕府ができて天下泰平の世の中になりそのまま時間が経過します。
18世紀に入ると、今度は米の生産量の増大に伴って生じた米価の不安定化が問題となります。
いや、日本人って勤勉で誠実でお仕事を真面目にやっていたんですね。昔から。
だから開墾したり品種改良したり効率の良い農法などを生み出したりして、米の生産量が増大してきたわけです。
となるとどうなるかと言いますと、今を生きる私たちなら誰でもわかる当たり前の話なのですが、米価が下がることになりますよね。
そしたら、これも当たり前の話ですが“お米の量は増えても米価が下がるから、結果として資産は増えない”ということが起こります。
こんな当たり前過ぎる当たり前の話ではありますが、昔は将軍様でもそのことを理解できていませんでした。
(その話については2016/10/14『お金のことを調べてわかった、田沼意次は本当は良い人?!』でも触れましたので、ここでは割愛します)
ただし、いつもいつも米価が下がっているわけではなくて上がる時もあります。
農作物ですから不作の時もありますし、飢饉が起こるほどの場合もあります。
米価の下落は米を換金して生活する武士の生活を脅かしますし、米価が高騰すると民衆の生活が脅かされます。
農作物(しかも主食)だからこそ、このようなことが起きてしまうのです。
で、話が長くなりましたが。
そんな江戸時代にも居ました。大金持ちが。
それはどんな人かと言いますと、士農工商では一番下とされる商人です。
上の円グラフでは町人7.5%に入ると思います。行商人で町には住んでいない人もいるかもしれませんが。
石高制のために、経済の制度では遅れていたかのように見える日本ですが。
実は、世界初の先物市場は大阪の堂島米市場であり、それを生み出したのはナニワの商人達でした。
中でも豪商として最も有名なのは淀屋です。
淀屋は米市を設立し、それにより大坂を「天下の台所」と呼称されるほどの商都に発展させた第一人者です。
淀屋は湿地帯を開拓し、中之島を作りました。
今現在の中之島には、大阪市役所に中央公会堂に日本銀行大阪支店があります。
また、その付近に淀屋が架けた橋は淀屋橋と呼ばれて後に地名となります。
現在でも淀屋橋と言えば大阪では最も有名なオフィス街となっています。東京で言えば丸の内ですか。
ここら辺の話にご興味ある方は、ダイヤモンドオンラインの『江戸時代、日本は金融立国だった! 再評価される世界初の先物市場“堂島米市場”』がおすすめです。
しかし豪商と言えば淀屋だけではなくて、たとえば紀伊國屋文左衛門とか奈良屋茂左衛門とか(エピソードは割愛します)。
というわけで結論ですが。
高度成長期に入ってしばらくして、日本は一億総中流と言われる時代になりました。
その前に、そもそも戦争に負けて財閥が解体されて農地改革で小作農がいなくなるという過程を経ています。
もちろんお金持ちの農民も存在したでしょう。
ただし農民は“生かさず殺さず”と言われていた時代ですし、先に書いたように石高制の支配下にありましたから、豪商レベルに達することができる農民はいなかったのではないかと思われます。
つまり農地改革及び財閥解体の前は、もっと貧富の差はありそれが当たり前の話でした。
そして現代の日本以外の国でも貧富の差はあって当たり前だからこそ、資本主義なのに何故か日本型社会主義とまで言われるまでに至ったわけです。
だから格差はあって当たり前だと私は思ったのです。
それとあと私は、本当の問題はそこではないと思っています。
下の層がどんどん下落して生活がどんどん逼迫していく、まずはその状態を一番に問題視せねばならないと思います。
もちろん、上の人から税金をたくさん取って下の層の人へ・・・・・・ていう方法だと格差はなくなるし、同時に下の層の人もかさ上げされることになりますけども。
今以上に極端にこれをやってしまうと、日本からお金持ちがどんどん外に流出してしまうのではないでしょうか。
すると、税金をたくさん納めてくれてお金を遣ってくれる人がどんどんいなくなるということになり、国全体がもっと貧乏になってもっと困ったことになるのではないかと。
なら、どうすれば良いのかという話なのですが、長くなりましたので次回以降とさせて頂きます。
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ありがとうございました。
これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。
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