ドトールコーヒー創業者の鳥羽博道氏が語る、見ているようで見ていないってどういうこと?
こんにちは。本木 ななです。
私とろくがお世話になっております。
前回の『与沢翼氏が語る、一度失敗したからこそわかったことってどういうこと?』を書いた時に思い出したことがありました。
それが「お金持ちの発想」についての話です。
前回「成功して大金持ちになる人も見ているものは皆と同じで、違うのはその時の発想である」という意味のことを書きましたが、こんな発想が生まれる時とは具体的にどういう時なのか、という話を今回は書いておこうと思いました。
今回の一例は、ドトールコーヒーの創業者である鳥羽博道氏の話です。
<ドトールでお昼。美味しかった☆彡>
この話を知ったのはTV東京の『カンブリア宮殿』という番組で、以下の放送のものでした。
詳細については、できれば「テレビ東京ビジネスオンデマンド」で視聴して頂くのをおすすめ致したいのですが、有料ですしお時間のない方もいらっしゃるかと思います。
ここで私の記憶を頼りに、見どころを一つだけ挙げておきます。
鳥羽氏は19歳で喫茶店の店長に抜擢されましたが、その当時は純喫茶全盛の頃でした。
純喫茶とは酒類を扱わない純粋な喫茶店という意味で、元々は酒類を扱う特殊喫茶と区別する呼称として生まれたものです。
具体的に今の喫茶店やカフェ、コーヒーチェーン店等とはどこが違うのか、と言えば「値段が高い」の一言だと思います。
純喫茶ではお出しするコーヒー以外に内装や家具や食器などに十分なお金をかけて、一杯当たりそこそこのお値段を設定しているのが当たり前でした。
それ故にお客さんの滞在時間は長めになり、回転率が悪くなりがちでした。
鳥羽氏が店長になった頃にはもう、この業態が衰退をし始めていました。
そこで危機感を持って普段からいろいろ考えていた鳥羽氏でしたが、なかなか良いアイデアは浮かんできません。
そうこうしているうちに純喫茶は明らかな衰退の道へと向かうようになり、鳥羽氏はさらに考えに考えましたが、やはりこれといったアイデアを思い付くことができないまま時が過ぎて行きます。
そんなある日、ついにその日がやって来ました。
それは1971年に喫茶業界のヨーロッパ視察ツアーに参加した時です。
以下、上記リンク先の記事より引用させて頂きます。
「朝シャンゼリゼを歩いていると、地下鉄の駅から出てきた通勤客の多くが、近くのカフェに次々と入っていく。つられて店内に入ったら、驚きました。」
テーブル席が空いているにもかかわらず、立ってコーヒーを飲む客。
不思議に思ってメニューを見ると、値段が違った。
テラスで飲むと150円、店内のテーブル席だと100円、立ち飲みだと50円。「これだ!と思いましたね。」
この後に続く鳥羽氏の話が忘れられません。
……いや、細かいところはさっぱり覚えておりませんが。
大体は以下のようなことを仰っておられました。
「その時、驚いたのは何故か私一人だけだったのです。
何故でしょうね、皆が私と同じ立場(喫茶業界のヨーロッパ視察ツアーですから)のはずなのに。
私と同じように業界の衰退に直面し、これを何とかしようと日頃から真剣に考えていたならば、私と同じように驚いたはずなのですが。
皆は見ているようで見ていなかったのです。その光景を。
見ていたのは、私一人。
そしてこれからどうすべきかわかったのも、私一人でした」
といわけで、鳥羽氏はこの後「株式会社ドトールコーヒー」を創業します。
その後のご活躍ぶりはもう、ここで触れる必要がないほどだと思いますので割愛します。
(むしろ、純喫茶の説明の方が必要でしたね。今では)
前回の与沢氏ご指摘の「発想の違い」では「同じものを見てもお金持ちになる人は発想が違う」という話でした。
そういう「気が付かない普通の人と気が付く賢い人の違い」というのも確かにあるとは思うのですが、鳥羽氏ご指摘の「危機感を持って考えることができるかどうかの違い」というのもあります。
恐らくですが、鳥羽氏と一緒にその光景を見た人の中にも頭の良い人は含まれていたと思うのです。
ただし危機感を持って常日頃から考えておられたのは鳥羽氏だけでした。
元々頭の良い人であっても何も考えていなかったら、何も見えないし思いも付かない、ということです。
気が付くことができるか否かは、その人の持つ頭の良し悪しだけではありません。
元々の頭がそんなに良くなくても、常日頃から物事をきちんと考えることができていれば、いつの日か突然その発想が出てくる日が来るのではないかと、そんな気がしてきました。
……いや、気がするって言うだけではダメですけど。
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