ひろゆき氏もベーシックインカムをおすすめ! 私もおすすめ(←誰も聞いてまへん)
こんにちは。本木 ななです。
私とろくがお世話になっております。
私は個人的に「日本は早くベーシックインカムを導入すべき」だと思っているのですが。
あのひろゆき氏も同じことを仰っていた記事を拝読したので、思わず更新してしまいました。
「新R25」の記事です。
『みんなが生活保護を受ければ日本は良くなる! ひろゆき流“オワコン日本”で生き抜く方法』
記事内でベーシックインカムの話が出てくるのですが、ベーシックインカム導入される気配が一向にないから、若い人が生活保護を受けまくるという話になるのです。
もちろん仕事が好きとかたくさん稼ぎたいという人はそのまま働いて頂いて。
このひろゆき氏の話ですが、私は非常に理にかなっていると思うんですよね。
冒頭の画像は以前に書いた記事『ろくがなんとあのピケティ先生にケンカを売っていたようです(本人自覚なし)』を使って手を加えたものです。
詳細は上記リンク先をご覧頂けると嬉しいのですが、ここでもざっと説明致しますとですね。
「r」とは資本収益率であり、資本から生み出される収益の率を指します。
「g」とは経済成長率であり、正確に言えば「人口増加率+労働生産性上昇率」となります。
我が国を含めた先進国の場合ですと出生率が低下していますので、ここではほぼ「労働生産性上昇率」を指すと考えて良いでしょう。
となると「g」とは「労働生産性上昇率」になりまして、これをわかりやすく言えば「労働で得られる所得の上昇率」となります。
というわけで「r>g」とは以下のことを表わしています。
- 資本を用いて得られる利益は、労働で得られる利益よりも大きい
このことを長年のデータによって証明したのがピケティ先生でした。
ちなみにピケティ先生は「r>g」という状態を正すために「資本家から税金を徴収し労働者に分配する」ことを主張されています。
それに対して「労働者も投資して一部資本家になるべきだ」と主張したのが、ろくでした。
そして私は今回のひろゆき氏へのインタビュー記事を拝読し、以下のように思ったのです。
「今は、これだけの話では済まされない!」
何故済まされないのか、それはこの話が供給側のみの話で終わっているからです。
需要側である「お客さん」の話が、ここには一切入っていません。
「当たり前やーん。今は供給側の話をしてんねんで!」て感じですけど、そこに大きな落とし穴があります。
実はですね、以前はそれでも良かったのです。
というよりも時代を遡れば遡るほど、需要側の話だけで良くなります。
終戦直後の物が何にもない時代まで来ると、一切「お客さん」が出て来なくても良いのです。
何故かと言いますと、その状況下のお客さんは立場を無視しても良いぐらいに弱いからです。
物がとことんない時代は、あるだけで御の字だと言う話になります。
すると供給側は(物を造って運んで売るという行為の全てにおいて)お客さんに対して、好きなだけ高い値段を付けて売ることができます。
それで得られた利潤の分配率が労働者は不当に低いからどーすんねん、て話になるわけですから。
しかし、今はどうでしょうか?
必要な物やサービスは十分に満たされている上に、さらにインターネットもあります。
需要側であるお客さんの方が、遥かに供給側の地位よりも高くなっているのです。
(ここら辺の話にご興味ある方は『【分散化】インターネットでこれまでどうなった&これからどうなる?【IT革命】』という記事をお読み頂けると私が喜びます)
というわけで、もはや資本家と労働者の間だけの話では済まされません。
実は「お客さん」が「より良い品をより安く買うことができる」という理由により、多大な富を持っていってしまっているわけですよ。
というわけで、それが何でベーシックインカムに繋がるのかと言いますとですね。
既に必要な物やサービスはもう充分となったら、今度は「それでもお客さんが欲しがる何か」を生み出さねばなりません。
お客さんが欲しがるであろう「何か」は、お客さんの立場に立って考えなければわかりません。
ベーシックインカムによって、100%お客さんの立場になったら「あ、こういうの欲しい。こんなのあったら良いのに」ということに気付きやすくなりますよね。
もちろん極めて優秀な人は話は別ですし、そういう人はこのまま働いて頂いてたくさんお金を稼いで頂いたら良いと思います。
そしてもう一つ、日本人特有の理由があります。
それは「理知的で賢い上にがんばり過ぎ、根性出し過ぎ」という国民性です。
先ほどの「物やサービスが満たされた上にネットで情報を得られるから、お客さんの立場が強くなる」というのは、何も日本だけの問題ではありません。
しかし何で日本でより深刻な問題になるのかと言いますと、先ほどの国民性がそれに拍車をかけているわけですよ。
何でお客さんの立場がより強くなるのかと言えば「無駄遣いはせず情報を集めて比較検討して、必要な物しか買わない」からです。
そこを何とかして買ってもらうには「より良い商品をより安く」がさらに進んでしまうわけです。
さらに問題が大きいのは、その中に労働者が含まれているということです。
労働者の「より良い商品をより安く」と言えば「より良質な労働力をより安い賃金で」て話になります。
そして少ない報酬しか貰えない労働者は一方でお客さんの立場にもなりますよね。
お仕事で貰えるお金が少ないから、物を買うことに対しては慎重にならざるを得ません。
そしたら財布の紐がさらに固くなって、もっと「より良い商品をより安く(=より良質な労働力をより安い賃金で)」という話になってしまうのです。
ちなみに私の以前からの主張は「ベーシックインカムの導入によって労働時間の拘束がなくなると、音楽や絵画など芸術的な才能や哲学や考古学などお金を稼ぐのが難しい学術的な才能が発掘できるのではないか」というものでした。
このこと自体が間違っているわけではないのですが、今回考え付いた理由の方がより深刻な話ではないかと思いました。
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