何か起こった時の価値観がその後にも影響することがあるようです
こんにちは。本木 ななです。
私とろくがお世話になっております。
前回の『パート2。もしも今日で人生が終わりになるとしたら?』を書いていて思ったことです。
この時の私は、何かあった時とそれまでの何も起こらなかった時の価値観は違うものではないかということに気が付きました。
そこで以前に書いた『石高制』の話を思い出しました。
何で石高制の話になったのかと言いますと、江戸時代ではお米を尊いものとする一方でお金を貶める必要があり、それが現在の日本人のお金の話題を避ける風潮に繋がっているのではないかと私は考えたのです。
ここら辺の話にご興味ある方は、過去に書いた
『後編)日本ではお金の話題を避けようとする人が多いのは何故?』
『追記・後編)日本ではお金の話題を避けようとする人が多いのは何故?』
をご覧頂けると非常に嬉しゅうございますm(_ _)m
というわけで、今回の私は何を思い付いたのかと言いますとですね。
日本が敗戦したことで、その“お金からお米への価値観の揺り戻し”があったのではないかと思ったのです。
江戸時代の200年ぐらいの間にできた“お金よりお米”かつ“お金は阿堵物(口にするのも汚らわしい物)”という価値観ですが、明治維新になってからはお金の価値観がどんどん高くなっていきました。
とはいえ、明治時代になっても武士は華族という呼び名で引き続き支配者階級に留まるわけですし、そもそもお米とは食料品であり主食でありますから、お米の価値そのものがなくなるということはありません。
ただしその一方で、お金の価値はどんどん上がっていきます。
その後も日本が経済的に発展しお金の価値は上がりましたが、戦争があって敗戦してしまいました。
敗戦後にどうなったのかと言いますとですね。
まず「軍札(軍用手票、軍票)」と呼ばれる軍が発行する特殊通貨が価値を失いました。
「日本円」そのものもハイパーインフレになって暴落しました。
そこで、お米の登場です!!!
闇米って聞いたことあります?
私は祖母から聞きました。
めっちゃカワイイやないですか。
つか、欲しいですよこれは。
いらすとや様から頂きました。
戦後でありとあらゆる物資が足りなくなりますが、お米も例外ではありませんでした。
それ故に政府が配給制にしたわけですけど、その配給されるお米の量だけではとても足りません。
山口良忠判事という、闇米を拒否したことが元で栄養失調で亡くなった方までもおられたほどです。
背に腹は代えられません。仕方ありません。
ほとんどの十分なお米を手に入れることのできない人はどうしていたのでしょうか?
その当時の人々は皆、農民が配給に出していない手持ちのお米をお金や高価な骨董品や着物などで買うか交換するかしていました。
これが闇米です。
というわけで、この時に
「やっぱりお米が一番。じっちゃばっちゃの言うとったことは正しかった!」
となったのではないかと思うのです。
その後の日本は順調に復興していったのですが、この時の揺り戻しもあってお金はどこか後ろめたいようなもので積極的に話題にすべきではないもの・・・・・・という価値観が定着してしまったのではないかなと思いました。
私は今でも、お金に対する教育が足りていないのではないかと思っています。
お金の貸し借りや金利計算など、ちゃんと教えておいた方が良いと思うのですがどうでしょうか?
では、ここら辺で結論です。
終戦直後ではお金の価値が相対的に低くなってお米の価値が上がったわけですけれども。
今回私が思ったのは、株や投資信託あるいはポイントよりも現金かなということでした。
というわけで、何かあった時というのは
- 信用経済から実体経済により近くなる
ものではないかなと考えたのです。
それも、起こった出来事が深刻なものであればあるほどこの傾向が強いのではないか、ということ考えました。ついでに。
↓↓ポチッと押してもらえると、執筆の励みになります!!
ありがとうございました。
これからも頑張りますのでよろしくお願い致します。
この記事へのコメントはこちら